これまでの人生を振り返った
ライフコーチ・ジリリさおりの「自分史」です。

私にとって「自分史」とは
自分が、何を大切にしてきたのか
何を望んでいるのか
人生を振り返り言葉にしていくと、
自分が大切にしてきたことや、
これからどう生きていきたいかを
知るためのヒントになるのです。
私が自分について新たに知る度、
更新してこうと思っています。

私はコーチとして
クライアント様に等身大の私を知って頂き、
対等な信頼関係を築きたいと考えています。

「私を認めてほしい」と願い始めた幼少期

1972年栃木県小山市生まれ。

幼い頃から「明るくて人懐っこいお喋りさんね」と呼ばれていました。
人に会うこと、話すことが大好きでした。
かかってきた電話を最初に取り、
覚えた言葉を得意げに話していました。

家族は父・母・私の3人家族でした。
当時住んでいた土地では、40代夫婦の一人っ子は珍しかったようで、
外を歩くと「祖父母」と間違えられることもあり、
恥ずかしかったのを覚えています。

両親の結婚後、私が生まれてすぐに、父の暴力が始まったそうです。
私が覚えている最初の記憶は、こたつに座ってテレビを見ていた父が
いきなり怒り出して奇声を発し、ビールジョッキをテーブルに投げつける姿です。
いつ始まるかわからない父の暴力に怯えながら、母と私は肩を寄せ合い、同志のようでした。
「父と別れないのは全て私のため」
「努力をしなければ、幸せにはなれない。私のようになるな」が母の口癖でした。
私が何をしても、母に認められずにダメ出しされると感じて、苦しい毎日でした。
それでも母の言葉は正しいと感じ、従わなければと思い、
母に「私を認めてもらいたい」という気持ちが強くなりました。

「認めてもらえていない」と感じ、自分否定へと進む10代

1981年 横浜市へ引っ越す

父の仕事の関係で、小学校4年生から横浜市に引っ越しました。
私は、クラスの6割が中学受験をする学校へ転校。
私が高学年になると、母は成績に対して
常に成績優秀な友人と比較しては、
「これじゃあ大した学校にいけないね」と
「苦しくなるダメ出し」をしました。

私の成績は頑張っても「中の上」でした。
それは、母の満足する結果ではないと思っていました。
母から「認められる」感覚が常になく、不安が募り、
高校時代には、テスト勉強や課題がはかどらないと、
泣きながら頭を叩き鉛筆で腕を刺すほど、自分を追い込みました。
自信のなくなった私は、周りと比べて一喜一憂していました。
その時の私は、母の「OK」さえあれば、
私は楽になれる・幸せになれると思い込み、
出来ない自分がダメだと責めていました。

「母に認めてもらえないのは、ダメな奴だからだ。」
この思い込みは長年私に染み込み、苦しめることになります。

「大学入学には反対だ。女子は高卒で働きに出ろ」と言う父と、
「成績優秀なのに、家が貧しく進学が叶わなかった私のようになるな」という母。

大学進学を希望していた私に許されたのは、
「浪人は許可しない。現役合格するなら大学進学を許す。」という条件でした。
担任からの「得意を伸ばしなさい」のアドバイスで、
好きな英語・国語、副教科の成績を伸ばした結果、
推薦入学で、専修大学英米文学科に合格します。
友人達が、受験勉強を頑張っている間に、クリスマスを楽しめたのは、
小さな努力を積み重ねていたからだと、自分を少しだけ認められました。

母から距離を置き、自分の力で生きようともがいた20代

1994年株式会社三越に入社 好きなファッション業界で働きたいと思い、 氷河期の中、高倍率の大手百貨店(株)三越に入社しました。 「大手企業に入ると、安定した収入を得て幸せな結婚が出来る」 そう言っていた母に、認めてもらえると考えていました。 しかし、母からのコメントは予想外で、 「大卒なのに売り子なんて、本当にいいの? 正直理想的な就職先ではないね。」と言われ、 ショックを受けたのを覚えています。 母が「認めない」苦しみから自由になりたい。 私の人生を自分で選択して生きていきたい。 という気持ちが強くなり、母との距離を置くため、 初めての独り暮らしをスタートしました。 入社5年後、目標だった部署に合格しました。 1年間アメリカ・フロリダ州オーランドにある ディズニーワールド・エプコットセンターに異動になりました。 ディズニーの経営理念を学びながら、「日本館」の着物売り場の運営を任されました。 「同僚より劣っているのでは?」と不安になったり、 「頑張れないとだめだ」と自分を追い込み、仕事をする私に、 「仕事も大切だけど、もっと自分を大切にして」 「君は十分頑張っているから大丈夫だよ」と言葉をかける夫と出会いました。 彼は私を認めてくれて、ポジティブに自分らしく生きていると感じ、 そこが魅力的だと思いました。帰国して1年後に結婚しました。

自分にも他者にも厳しい30代

私は36歳で第1子を出産しました。
その頃、両親と離れて住んでいたため、
父の介護に母が疲れはてていました。

私は、会社でのキャリアが自分の肩書だと信じ、
それによって「認められる娘」になれると思っていました。
しかし同時に介護や育児をする自信がなく、
考えた末、私は15年務めた会社を退社しました。

専業主婦となり、息子への教育に熱心になりました。
息子が5歳の時、幼稚園の習い事で、上手にピアノが弾けないと
手を激しく叩き叱っていた時、夫から
「子供の好きでやりたいから始めたのに、
親子でとても苦しんでいるように見える。」
と言われてハッとしたのを覚えています。

その頃、夫の言動に常にイラつき、口論をしていました。
今思えば私は、育児にも介護にも、家事にも、
漠然とした「理想」「完璧さ」「正しさ」に囚われて、
自分を追い込み、出来ない家族が問題だ!と常に怒り、
心身ともに疲弊していました。

自分の生き方を考えた40代

第一子出産から4年後、第2子を妊娠と同時に父の容態が悪くなりました。
母の認知症と緑内障も悪化しました。
第一子の時と同じく、妊娠高血圧症になりました。
その上、切迫流産で自宅安静だった私は、
漠然とした不安で、常に泣いていました。
息子が常に隣で心配していたことを思い出します。

娘を出産して5か月が経ち、父が亡くなりました。
子供を抱えての出産後1か月からの遠距離介護スタート。
「どこに行くの?」と週末実家から帰宅する時間には、毎回不安になり混乱する母を、
施設に入れることを考えて見学に行ったこともありました。
不安で常に自分を責めたり、日々家族に厳しく指示をして、出来ないと怒っていました。

「家族の意識を変えなければ」そう考えていた時、
友人に色々な講座を勧められ参加しました。
その中で私の心に残ったのは、コーチング講座の
「過去と他人は変えられない。」
「感情は自分で選んでいる」
「大切なのは自分をご機嫌にすること。」
という講師の言葉でした。

「私は、コントロールできないものを、
どうにかしようともがいていた」という気づきと、
「感情に振り回されず、選んでいる意識が出来たら、私はどう変化するだろう?」
「自分はどうなっていたらご機嫌だろう?」
そんな問いや期待が初めて浮かびました。

自分の「生きたい方向」に歩き始めた。

「感情を意識すること」「ご機嫌になる方法」を考えても
つい家族に口うるさくなることは変わらない毎日でした。

私は白い紙の前で、幸せな気持ちを想像しながら
絵を描くことにしました。
描いたのは、一つ屋根の下のにぎやかな家族。
家族が笑っている真ん中にいる自分。
見ていてほっとする絵でした。
「私は家族を愛してるんだなあ。」
「一緒にいることが、今一番の幸せなんだ。」改めて気づきました。

夫と何度も話し合い、夫は転職。
実家近くへ引っ越しをしました。
その後、母と同居出来る家を購入しました。

自分のどうなりたいか?を考え、素直に実行したら、
その方向に少しだけ、動き始めました。

下の娘の幼稚園在園時に、
横浜市私立幼稚園父母の会連合会の協会代表となりました。
横浜市の幼稚園の9割が所属する大きな協会で、
幼い頃からの「お喋り」を生かした代表としてのスピーチや
教育関係の講座企画の楽しい日々でした。
人との出会いも多く、学びになりましたが、
「完璧」にこだわり、遅くまで作業をして身体を壊し、
企画した講座で知った「知識」も、実践出来ず、
小学生の息子の「出来ないこと」を責め、
夫の考え方の違いに、ダメ出しをしては、
自己嫌悪に陥っていました。

娘の卒園と同時に協会も卒業となり、
以前受けたコーチングをもっと本気で学びたいと思っていた矢先に、
2019年にコーチングスクール「ライフコーチワールド」と出会いました。

自分と家族のありのままを受け入れて
大きく変化した今。

「ライフコーチワールド」でのトレーニングや
同時に始めたマイコーチとのセッションで、
目から★が出るほど、自分について理解し始めました。

私が「当たり前」と思い込んだ私の基準で、
自分や他者に「良し悪し」の評価をしていました。
そして「悪い」と判断したことはダメなもの、
直すべきものと考えていました。
私自身や家族の気持ちを尊重せず、そんな思い込みで縛りつけて、
苦しんでいたことに気づきました。

長年私を認めず、否定し続け苦しめた人物は、
私自身だったことに気づけて、
長年の苦しみから、解放されました。

両親が私にしてきたことは、確かに
私に、大きな影響を及ぼしました。
そのまま従順に従ったわけでもなく、
誰でもが通る「反抗期」で無意識に
自分らしく生きたいと離れる努力もしました。

今までの四苦八苦は、全て意味があった。
初めて感謝の気持ちを、私自身に伝えることが出来ました。
そして、「ダメだ」と否定し続けた自分を許し始めました。

答えは自分の中にあると知り、この先もずっと
自分と向き合い、問いに答え続けると決めた。

「自分のことを理解し、許し、受け入れなければ
他人の言葉など聴くことが出来ず、また受け入れられない。」

自分を許し、受け入れることが出来ると、
家族が問題だ!と思っていたことも、
今は、興味深く尋ねて、私とは違う捉え方を知り、認めるようになりました。
自分との違いからは、学ぶことが多くあります。
そして家族をより理解し、愛おしく思えるようになりました。

長年の苦しみを手放す答えは、
自身の気持ちと向き合うこと。
「解決する答えは、自分の中にしかない」
遠回りの人生だと思っていましたが、
学ぶために私が選んだ道だと、今は感じています。

幼稚園の協会の仕事で多くのママとお話をしました。
母・妻としての「役割」に向き合う中で、
他者とわが子を比べて、わが子に「ないもの」を気にするあまり、
「どうにかしなくては」と焦ったり、
「ママ友」や他者とのコミュニケーションでも
「思い込み」で相手の気持ちを作り上げて
他人に振り回されて息苦しく感じていることを知りました。
多くの方が、自分以外の他者に意識がいって、ストレスを抱えていました。

「自分と家族の笑顔は、ママがご機嫌になること。」
「ご機嫌になることは、まずは自分を知り、認めること」
「他者と比べるより、先週のわが子と比べられる自分になること」
いままでの私の体験から、今苦しむママにもそれらを体験してほしい
心から願っています。

「自分最優先になり、自分で答えを見つけていく。」

自分を育て、子供の健やかな成長を見守るママに変化するのは、
「知識」ではなく、体験して実践していくことが大切です。
そして、自分独りでするには難しい「問いかける」ことや
自分が今どんな視点で自分の周りを見ているか?の客観的視点を
私は、ライフコーチ・ジリとして、
私の経験を生かして、お伝えすることで、
あなたの気づきにつなげ、前進して、成長し続けることを
軽やかに応援していきます。

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