1972年栃木県小山市生まれ。
幼い頃から「明るくて人懐っこいお喋りさんね」と呼ばれていました。
人に会うこと、話すことが大好きでした。
かかってきた電話を最初に取り、
覚えた言葉を得意げに話していました。
家族は父・母・私の3人家族でした。
当時住んでいた土地では、40代夫婦の一人っ子は珍しかったようで、
外を歩くと「祖父母」と間違えられることもあり、
恥ずかしかったのを覚えています。
両親の結婚後、私が生まれてすぐに、父の暴力が始まったそうです。
私が覚えている最初の記憶は、こたつに座ってテレビを見ていた父が
いきなり怒り出して奇声を発し、ビールジョッキをテーブルに投げつける姿です。
いつ始まるかわからない父の暴力に怯えながら、母と私は肩を寄せ合い、同志のようでした。
「父と別れないのは全て私のため」
「努力をしなければ、幸せにはなれない。私のようになるな」が母の口癖でした。
私が何をしても、母に認められずにダメ出しされると感じて、苦しい毎日でした。
それでも母の言葉は正しいと感じ、従わなければと思い、
母に「私を認めてもらいたい」という気持ちが強くなりました。